普洱茶ブームの発端は広州で起きた
2004年10月17日、広州市民の度肝を抜くような報道がありました。それは『一人の女性が六筒の百年普洱珍品を78万元で競り落す!!』という新聞記事でした。普洱茶は市民のだれもが毎朝毎晩、ヤムチャと共に飲んでいるありふれた茶であり、その茶に78万元を払ったという事実にびっくりしたのです。(78万元=日本円で一千万円以上)
一般市民にとって「茶で財産をなくす」という故事によくある話しは聞いていても、茶に詳しくなければ現実にそんな茶が存在することは知りません。この報道を契機として普洱茶ブームが沸き起こり、原野を焼き尽くすごとく中国国内に広がりました。
それではその記事を見ていきましょう。
《南方網報道》:78万元は六筒の普洱茶の対価で、昨日(10月16日)午後、第五期・広州国際茶文化博覧会の会場で “茶葉・茶壺の逸品” オークションが行なわれ、一人の豪気な女性客が陳期90年の宋聘号の普洱圓茶などに78万元を出した。陳期100年の乾利貞普洱茶、陳期70年の越南河内(ベトナム・ハノイ)の普洱茶も出品されて競りにかけられた。
百年普洱の珍品は茶博会で注目を集める
このオークションのニュースが伝えられたあとで、市民の強烈な興味を引き起こした。
陳年普洱茶の収集家の羅さんの紹介によると、ここに出品された陳年普洱茶の中で、宋聘号普洱茶、乾利貞普洱茶、越南ハノイ製が最も貴重だ。オークションに出品された“宋聘号”普洱茶は90年の陳期を持っており、“乾利貞”普洱茶も90年の歴史がある。上世紀の30-40年代の越南産の河内号普洱も典型的な国境普洱茶の代表で、同じくとても希少な品だ。
普通の手段によって普洱茶を蒐集するには、とても長い年月がかかり価格はとても高い。普洱茶の陳期は最も判断しにくく、この百年普洱茶は専門家が競い合ってその陳期を推定判断し、陳年を公表されたものだ。
“68番”は連続して3回の競売に競り勝つ
オークションは昨日の午後開始され、第1のオークションは“73厚磚”の普洱で、始まりの価格は “6.5万元” で、競りは7万元で成約。引き続いて陳期60年の“孫義順六安茶”と1953年の湖南天尖茶が順次出品された。
しかしオークションを効果的に進められず、その中で“孫義順と六安茶”は分けられてオークションとなり、湖南天尖茶は流れてしまった。その後、第4のオークションの出品_1940年前後に制作された“獅子球中壺”は、発句価格の10万元で成約した。そして陳期90年と公表された歴史的な二筒(14個)の宋聘号圓茶は、発句17.4万元で始められた。競売士がオークションの開始を宣言すると、“68”、“99”、“30”の3名の買手は争って価格を叫び、茶葉の値は毎回2000元の幅で絶えず上昇して、急速に20万元を突破した。引き続いてセリ上げられ21〜22万の間で膠着したが、“68”は22万2,000元と叫びだし、その他の二人の買手はまだ頭を下げて相談する間に、“68”番の買手は“25万元”の高い競り値を出し、最終的に競売は成功する。
百年物の珍品が出品されたオークションの現場。雰囲気は非常ににぎやかで、
“68番”の買手は78万元払って六筒の珍品普洱茶の全部を手中の収めた。
オークション会場の空気は一気に高潮し、二筒の陳年100年と公表された乾利貞普洱茶が出品され、発句は20万元だ。“乾利貞”が競りにかかると、すぐに“68”、“99”、“30”の3名の買手が競って価格を叫ぶように引き上げて、“68”は依然として絶えず値を上げて“25万元”から“30万元”まで値を競り続けて、最後には品物を競り押さえた。
引き続いて越南ハノイで製造され出廠した、上世紀30〜40年の物と公表された普洱茶のオークションが始まる。発句の価格は13.4万元で、“68”は同様の競り方で挑んだ。
前の二つのオークションの品を“99”、“30”が落札できなかったことで、両者は心に不満を持っていると考えた。しかし同じく競り値を途切れなく発して、“68”は最終値23万元の価格で再度みごとに品物を押さえた。[記事了]
宋聘号圓茶は1870年代後半に設立された宋聘号の製品、乾利貞圓茶は1820年代後半に設立された乾利貞茶号の製品で、1898年に両茶号は合併して「乾利貞宋聘号」という名になります。そのためこのオークションに出品された圓茶は、宋聘号も乾利貞も本来なら「乾利貞宋聘号」ではないかと思われ、それぞれ独立した茶号であればもっと陳期は長くなり、鑑定にあたって曖昧に濁しているのかも…。
▲参照写真 [ *1, *2 ] は書籍「普洱茶譜」台湾・唐人工藝から
伝説の普洱茶は易武で作られた

乾利貞茶号は当初陳利貞茶号でしたが、1865年乾利貞に改名、1898年倚邦山から易武山へ移り宋聘号と合併
「乾利貞宋聘号」という名になります。六大茶山の中でも易武山は特に良質の茶葉を産出します。
勐臘県易武は1820年代に興隆期を向かえ、清代後期から民国初期にかけ、雲南最大の茶葉加工・産出の基地となります。
1900年〜1930年代の最盛期、30軒弱の茶号が競い合っていました。なかでも同慶号が最大の実力を持った茶号になります。海外にも盛んに輸出され、東南アジア諸国の華僑に最も信頼されるブランドでした。しかしこうした易武の茶号も抗日戦争を契機に、易武を離れタイ、ベトナムなど他の国々へ流転していきます。
飲まなければ味は覚えられない
上の茶葉の画像は「乾利貞宋聘圓茶」通称“ソンピン”の葉です。2004年に「普洱茶・賞翫茶会」で賞味した後、乾燥して保存しておいたものです。この時は「早期紅印圓茶」通称“アカプー”も飲むことができましたが、茶葉は保存し忘れました。
日本で1945年以前の普洱茶を所有している人はまずいないので、実際に飲んで味を知る機会はまったくないと思えます。陳期60〜70年の普洱茶を知り“味の尺度の基準”にすると、生産後10年、20年の普洱茶の味を比較して、その普洱茶の育ち行く姿が想像できて、その意味で大変貴重な機会でした。
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