タイトル

雲南茶の基本的な知識

 2004年から05年にかけて普洱茶の知識を得たいと、書籍その他の情報を集めていました。中国茶の世界では、どうしても漢文資料になってしまうのですが、「漫話普洱茶」(雲南民族出版社)という本に出会いました。広州の書店の店頭でパラパラと内容をながめると、日本では知られない世界があるようで、粗末なザラ紙に刷られたようなこの本を購入しました。

書籍

 著者の邹家驹という人はそうとう普洱茶に詳しいようで、その歴史から茶葉や茶樹のことまで書かれているような内容です。半年ほど後に知ったことですが、この著者は元勐海茶厰総経理、当時は雲南省茶叶協会会長でした。それ以降、この方の文章に度々出会うようになるのです。

 2005年7月14日、「雲南普洱茶」というWebSiteに『雲南茶の“烘”と“晒”』と題して興味ある文章が掲載されました。興味本位で何日もかかって自分なりに翻訳を試みました。 そこには日本では知りえないような、普洱茶の基本的なことが書かれており、とても参考になりました。

 このサイトは現在では消えており、参照していただくこともできません。そのためここに全文を訳したものを、元のサイトの了解も取らず載せます。文章、写真ともに「雲南普洱茶」に版権があることをご了解ください。


雲南茶の製品と分類


上掲の図は、著者が述べていることを作図しました。これが雲南茶葉の基本で、これをしっかりと知識の中に押えていないと意味不明となってしまいます。

それでは本文に移ります。


雲南茶の“烘”と“晒”

  

www.teayn.net [雲南普洱茶] 発布日期:2005-7-14

   邹家驹

 普洱茶の原料の調配合は、計画経済の時期にも基本的に大きい変動はなかった。雲南省の省公司の普洱茶の原料に関する書類には、必ず晒青加工技術を使用すること、普洱茶の中に烘青や炒青、或はその他の技術を使用することを禁止すると規定していた。

乾燥機

 八十年代初期、広州交易会で、私はいつもサンプルをお客さんに配った。香港の茶商は大体その場で注文をしない。彼らは、いつもお茶のサンプルをホテルに持ち帰って品評して、一日、二日経ってから返事をくれる。それを私はずっと疑問に思った。雲南の各茶号の支社、支部で、使っている原料の等級はずっと同じで、毎年売っているのも全て新茶なのに、品評する必要があるのかと。

 香港の老茶人陸偉鎮、梁楊、郭宏廉などに聞いたら、茶号等級は別として、生産単位別の茶底が違うと言うのだ。普洱茶の原料の決め手は苦味であって、味が爽やかだと却ってよくない。茶底がよいものは置けば置くほど濃い甘味がするが、茶底が悪いと置けば置くほど苦くなる、と。

 私は疑問を持って茶厰(茶工場)に行って調査することにした。私は工場長ではなく、現場で働いている人を訪ねた。

日光乾燥

 事情は次の通りだった。1964年は茶の国内販売がきつくなり、紅茶生産区では制度を改め烘青茶を作ることにした。納入価格の等級は小葉種青茶と同級同価格で、つまり五級十等だった。1979年、烘青毛茶の分類を三級六等に変えた。即ち、一級は1、2等、二級は3、4等、三級は5、6等である。7等以下のものはもう生産しないことにして、低等ながら新鮮な茶葉で晒青毛茶を生産するよう促した。生産された7等以下の烘青毛茶の買い上げ価格は晒青毛茶と同級同価格とした。烘青毛茶の標準価は二級4等、標準サンプルは2、4、6の三等に定められている。

 曲靖、昭通両地で生産された小葉種晒青毛茶は変わらず五級10等にして、標準級は三級6等にした。実際、烘青毛茶の買い上げ価格は晒青毛茶より高かった。例えば三級6等の晒青毛茶ならば、87年の価格は毎担137元、同級の烘青毛茶は毎担146元で、9元高い。88年の価格は毎担149元で、同級の烘青毛茶は毎担161元と、12元高い。

 烘青毛茶の精製した完成品の茶葉は雲南の緑茶(滇緑茶)で、市場では四品種しかない。つまり滇緑一級、滇緑二級、滇緑三級と滇緑四級である。1974-1975年の間、春蕊の販売価格は毎担380元で、滇緑一級の販売価格は毎担400元であった。コストがら見ると、工場では級内の烘青茶を晒青毛茶類の中に入れることはない。

 晒青毛茶の精製した完成品の茶葉を滇青茶といい、系列として春蕊、春芽、春尖、春玉と滇配茶がある。滇青系列の茶の加工後に篩出された粉末は、売れないときには、各種緊圧茶に入れてしまう。滇緑茶の加工後に篩出された粉末は、売れないときには工場の人は省公司の規定に反して、こっそり普洱茶の系列の茶に入れる場合がある。

 計画経済の時には、こんなことはよくあることだった。過去に香港、マカオと内陸との交流は少なく、茶商は茶の味が怪しいことに気付いても、加工の過程の変化は知らなかった。烘青茶と晒青茶の唯一の区別は乾燥方式の違いにある。烘青の乾燥機内の温度は130度以上もあって、6〜7分の時間で茶葉の乾燥過程を終らせる。高温は茶葉内の活性酵素を殺し、茶葉の転化条件を中絶させた。

 交易会で、このような事情が分かっている人はサンプルと同じ生産単位の茶を納入することを何回も繰り返し要求する。契約の量は大体5トン、10トンあるいは20トンと整数であるが、生産単位は往々にして整数ではない。納入のときは違う生産単位のものを入れざるを得ない。いったん烘青の粉茶が入っていると、次回の交易会では必ずクレームを言われることになる。

 80年代初め、私が交易会に持っていった一種類のサンプルを、いくつかの茶商が見たが注文はしなかった。交易会が終わって昆明に帰るとき、トランクはいつも海外舶来品を入れるため空けておくため、サンプルとして持ってきたお茶を香港に定住した昆明人の友人にあげた。

 先日、その友人が当時のお茶を少し持って来てくれた。それは二十数年も経ち、いいお茶になったに違いない。しかし飲んでみると苦味が凝結し溶けない。原因は烘青の粉が中に混ざり、外形の色合いでは区別がつかないからだった。この文章を正確に述べるために、元昆明茶厰の副工場長に電話をかけて、省公司が九十年代初期にずっと売れなかった烘青茶G901のサンプルを送ってもらうことにした。

 普洱茶の色は紅い褐色であり、十数年後の烘青茶は深緑色から暗黒色になり、ぱっと見ると紅茶に近い。烘青茶が古くなってからの苦味は晒青茶が古くなってからの苦味とは違って、口の中で徹底的な苦味となり、転化もせず、ずっしりと重く、じりじりとした刺激が喉元にくる。晒青茶の苦味は、あとで結局は舌の元で甘さが回る。しかも、歳月の推移に従って、陳化する過程でだんだん消えてなくなり、滑らかで純粋な甘さに転化し、調和して無刺激になる。茶杯を空けて香りを聞くとき、陳年普洱茶は活力に満ちるが、陳年の烘青茶は窒息して重く、活気が少しもない。陳年の烘青茶のもっと大きな問題は、飲んだあとに唾液の分泌を促進せず、かえって口の中がからからに乾く。乾燥機の火は意外にもずっと茶の中で保存されているのだ。

 輸出の紅茶以外に、雲南では50、60年代に広東省茶葉公司に緊圧茶、圓茶と晒青毛茶を提供したことがある。1956年に勐海茶厰生産の華僑向け圓茶2400担、同年計画では晒青毛茶2200担を提供することになったが納入できず、華僑向け圓茶や紅副茶など1300担で補うことにした。その後、毎年晒青毛茶2000―3000担を供給し、“文化大革命”までに中止した。

 50、60年代に生産した“広雲貢餅”は部分晒青毛茶が混ざっているが、主材料は広東烘青茶であった。保管した時間が三、四十年となるが、その消え去らぬ苦底は、烘青茶という新しい技術が発表された後、数十年も潜む秘密を我々に教えてくれた。乾燥機の高温は烘青茶のある意味での終結を宣言したのである。

 普洱茶を愛好する方は、古い(陳旧)烘青茶を探してちょっと試してみるとよい。
           右上写真:広東省深圳の茶葉公司に十数年放置されていた烘青茶



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